三重鳥羽/伊勢神宮献上、熨斗あわびの里 国崎町内会

国崎 曹洞宗 宝剣山 常福寺 ≫≫≫≫≫名所/自然に戻る

曹洞宗 宝剣山 常福寺(じょうふく寺)

◇曹洞宗 宝剣山 常福寺

 国崎海間谷にある、曹洞宗の仏教寺院です。山号は宝剣山。創建年代は不詳ですが、元は天台宗に属していたとされています。(宝剣山の由来は、下野の国の山法師『阿梨円成』が大津浜あたりで、潮垢離の願をかけていたところ、宝剣を見つけたことからで、『太平記』にその記述があります』これは、安徳天皇が壇ノ浦に沈めた宝剣が国崎に流れ着き、伊勢神宮へ奏進したと言われています)
 古くは字大津にあり、『海門庵』と呼ばれていましたが、明応地震(明応7年 1498年)による津波で集落ごと滅失し、小字里中に移りされました。
 その後廃寺となりましたが、正保元年(1645年)に「厳州」によって再興され『常福寺』とあらためられ、翌年鳥羽常安寺の末寺になりました。
ご本尊は不動明王【1919年(大正8年)に里谷にあった海蔵寺から常福寺に移されました。】
平成元年に庫裡、平成2年に本堂が新築されました。
1月7日の大般若会には、多くのお参りがあります。

〒517-0031 三重県鳥羽市国崎町377

常福寺境内入口

常福寺境内の「津波流失塔」

常福寺境内 眼下に太平洋が広がります

■常福寺境内にある「津波流失塔」 1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相が記されています。碑文の中に「於當村浪高彦間而七丈五尺」の文字がみられます。~近くの海岸に22.5mもの津波が押し寄せたが、犠牲者は6名のみであった~と記されています。この理由としては、明応地震(1498)の後に沿岸部に建てられていた集落が高台のこの地に集団移転したためとされており、この国崎町は、国内最古の集団移転地といわれています。
また、境内左横にある『手洗い石』は、津波で打ち上げられた船に載っていた石垣で作ったものとされています。

4月8日(固定) 宝剣山 常福寺花祭り

◇花祭り

お釈迦様はネパールの地の花園でお生まれになりました。 おしゃかさんの誕生日のお祝いを「花まつり」というのはこのためです。

伝説では、お生まれになってすぐ7歩進み、右手で天を、左手で地を指さし 「ひとは誰もがかけがえのない命を生きている」という意味の言葉を宣言されたと言われています。

誕生の様子を表した「花御堂」を飾りその中央には天を指差した誕生のお姿を安置し、甘露の雨を模した甘茶をかけ 華やかにお祝いをします。この日はお釈迦様のお祝いすると同時に、それぞれの「かけがえのない命の尊さ」に目を向け、正しく生きることをお誓いする日にしたいものです。

 平成28年 10月30日 宝剣山 常福寺 晋山結制式禮

◇宝剣山 常福寺 晋山結制式の模様です。


平成28年 10月30日 宝剣山 常福寺 晋山結制式禮映像紹介

晋山結制式禮映像紹介 VOL1

晋山結制式禮映像紹介 VOL2

≫≫≫≫≫国崎の『名所&自然』に戻る

ページのトップへ戻る